ナツ☆日記

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My grandpa

11月3日の朝、おじいちゃんが亡くなりました。

病院にもほとんど行かないおじいちゃんだったのですが、一度倒れてから、一命は取り留めたのですが、ずっと入院生活が続いていました。

お家に帰りたくて、リハビリもとても頑張っていたようです。
けれど、介護が必要でお家で介護するにはとても難しいということで、介護施設に移りました。

その介護施設がきちんとしていなかったのか(確かめようがない。。)、移ったその夜に肺炎にかかり、また病院へ。

そのときに、お母さんとお見舞いに行きました。
それが最期になっちゃった。

寝てるのか意識がはっきりしていなかったのか、話しかけても目も開けず反応もしてくれませんでした。
おじいちゃんは、カテーテル?をすぐ抜いてしまうそうで、手も手袋されて、ベッドに括りつけられて、見ていて本当にかわいそうでした。必要性を説明してもそれでも頑固なおじいちゃん。嫌なものは嫌。管を抜いてしまうと大変なのでお母さん達も強く言えなかったようです。

おばあちゃんもお見舞いに行く度に家に一緒に連れて帰ってくれ、と訴えかけられてかわいそうで見てられないと言っていました。


私がこちらへ来てからもお母さんは介護で大変そうでしたが、それでも私はおじいちゃんは私が一時帰国する時もいるもんだと思っていました。何でかな、死というところまで考えがおよばなかった。
父方のおじいちゃんが亡くなった時もゆっくりと死んでゆくという感じだったので、同じようだと勝手に考えていたのかも。。

悲しい気持ちはあるけれど、でも本当の事をいうと実感はあまりない。
最期の日に立ち会えなかったという事、お葬式にも出られないということ。
本当は帰りたい。お線香あげたい。
海外に住むってこういうことなんだよね。。そう思うと家族の近くにいたいよ。

今は、おじいちゃんとのことを思い出して、心の中でうーとーとーしています。

子どもの頃の私からしたら亭主関白なちょっと話しにくいおじいちゃんだったのだけど(いつも囲碁かゴルフをしているイメージ、笑)、私が大学卒業して沖縄戻ってからたびたび話をする機会を持つ事ができました。

一度は、おばあちゃんがなぜだったかいなくて、亭主関白なおじいちゃんは家事一切できないので、私がお家に行って、ご飯をよそって一緒に食べて、そして片付けをしたり。その時もあまり話してくれなかったけど、私から一杯質問したので、気恥ずかしそうにしながらも会話してくれました。

本当、昔の男だからか、言葉が少ないの!
おばあちゃんにも"おい"とかそういった指示だけでした。
それを瞬時に理解するおばあちゃんは素晴らしすぎる!と感動していました。
でもね、おばあちゃんが外出すると寂しいからって嫌がるおじいちゃん。
おばあちゃんもそれが嬉しいようで、二人仲良しでした。

あと、もう一度、沢山お話できた日。
私がフィリピンへ行ってお土産をおじいちゃん達に持って行った日。
おじいちゃんはフィリピンに住んでいたので、その当時のことを色々話してくれました。
その時はいつもと違って饒舌で楽しそう。
私もフィリピンで見たこと、感じた事、おじいちゃんと話ができてとても嬉しかったよ。
もう一度フィリピンのドリアンが食べたいって言ってたのを思い出します。食べさせてあげたかったな。


今になってもっともっとおじいちゃんの話を聞きたかったなと思ってしまう。
なくなってから後悔って出てくる。

おばあちゃん達ともっと話しよう。
おばあちゃんのこと沢山憶えておこう。

お母さんとも沢山話そう。
親孝行、出来るうちに沢山しよう。
離れていても出来ることあるはずだ。


おじいちゃん、今は体がなくなって身軽になったから、ぴゅーんっとこっちまで飛んできてくれないかな?

って彼氏に話したら、

理解してくれませんでした、笑


私、おじいちゃん家大好きだったよ。
おじいちゃんあまり話しないけど、一緒いるだけでいいんだよね。
従兄弟達と集まって楽しい思い出が一杯。
お泊まりしたり、従兄弟達とシャボン玉して遊んだり、朝ご飯作ったり、皆で昼寝したり。


やっぱりまだその家にもうおじいちゃんはいないということが信じられないな。
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Comment

NoTitle 

御爺様のご冥福を心よりお祈りいたします。本当に、本当に悲しい出来事でしたね。ナツさんのブログを読んでいたら涙が出たよ。おじいちゃん、きっとナツさんと沢山話せて嬉しかっただろうね。フィリピンの話し、恥ずかしそうに、でも沢山話してくれたんだろうなぁって勝手に想像しています。おじいちゃん、今は大好きな家に帰って来られてほっとしていると思います。これからはきっと愛するおばあちゃん、お母さん、そして孫たちを見守ってくれるね。おじいちゃんは家族みんなの心の中にずっと行き続けるね。

私も永住を決心したときに、若しかしたら親の死に目にもあえないかもしれない、と思ったときには涙が出ました。何かあって飛んで帰れる距離でも無く、頼れる兄弟も居ないので・・・。だから今アメリカに居るナツさんのことを想うと、胸が苦しくなるよ。帰りたいよね、会いたかったよね。でもだからこそ、生きている人達をもっと大切にしたくなるね。自分が元気で幸せでいること、それがまず自分達に出来る一番の孝行だと思います。

今はきっと色々なことが心に浮かんでいることと思います。でもゆっくり休んで、何かあれば彼に甘えてね。そして、おばあ様とお母様の支えにもなってあげてください。
  • posted by はいちゃん 
  • URL 
  • 2012.11/09 01:45分 
  • [Edit]

Re: NoTitle 

はるかちゃん

コメントありがとうね。
私がうまく書けなかった事まで、ちゃんと分かってくれてるからさすが、はいちゃん、CLS!

おじいちゃんが亡くなってしまったことはとても悲しいけど、
やっぱり一番悲しいのは死に目に合えなかったこと、お葬式に出られないこと。
そのプロセスなくしては、受け止める事もグリーフすることも難しいね。
だから子どもも子どもだからかわいそうとかあまり分からないだろうからって家族の最期の日に一緒にいれないとかお葬式に参列させないってのはやっぱり違うかなあと思ったよ。子どもも子どもなりに大人のサポートを通して体験して考えて受け止めていくよね、きっと。

特定の宗教を信じている訳ではないけれど、やっぱり死んだらどこか安らかな場所に行けて、今生きている人達を見守ってくれていると思うから、心の対話が増えることは嬉しいな。もう一人の亡くなったおじいちゃんにもよく話しかけるから、笑。

コーピングも今取ってるクラスのおかげか、結構大丈夫〜!
沢山泣いて、誰かと話して、このブログに気持ち書いて。。。結構自分の事も分かってくるのはCLを勉強してて為になることだよね!
  • posted by natsu 
  • URL 
  • 2012.11/12 12:55分 
  • [Edit]

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プロフィール

natsu

Author:natsu
生まれた時から沖縄の太陽に焼かれ、、ただいま、CAの太陽に焼かれています。

2009年8月より沖縄へ戻ってきました。

2012年再留学。
まだまだ落ち着かない。未来は未知数!

2014年、約7年の道のりを経てやっとチャイルドライフスペシャリストになれました。というわけで今はまた沖縄の太陽に焼かれています。

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